水を得たウオ、ウサギの上り坂
翌春、手芸店に入社した私は布売り場に配属されました。
壁一面に棚、床には最低限に通路が確保された棚の列。その中に板に巻かれた布がギュウギュウに並び、棚上まで積まれた布・布・布。
まわりは専門的に学んだ人が多い中、未経験の私の最初の仕事は、ひたすら布を整理して、並べることでした。
ひと月経つ頃には、少し先輩の同僚に「他の仕事を教えてもらえないのか」と心配されるほどに、毎日布ばかり触っていました。
私としては不満はなく、布に囲まれたその環境に身を置けていることにただただワクワクしていました。
働いているうちに、最初は色でしか違いが分からなかった無地の布が、素材や織り方によって違って見えるようになりました。
自分では選ばないような柄にも、それを好きで求めているお客様がいることを知り、接客しているうちに、それぞれに良さを感じるようになりました。
布の並べ方ひとつでお客様の反応が変わることや、布が作品になることで違う魅力をみせてくれることも知りました。
布売り場の仕事のひとつは、売り場の生地を使って作品見本を作ることでした。
当初私はいくら好きとはいえ、自分なりにしか作ったことのない裁縫初心者。
見本となる作品を作るためには最初は「?」の連続でした。
実家のミシンはいうことを聞かないわ、初めての工程に困惑するわで、提出期限ギリギリでも(むしろ間に合ってないことも)、仕上がりに納得がいくまで縫いほどいていました。
いろいろな本を読み素材の特徴を学んで、自分でミシンも買いました。道具や工程には理由があることを知り、その効率の良さに感動しながら、作品を何個も作って試行錯誤するうちにだんだんと成長していきました。
そうして2年近く経ち、作品見本をチェックする上司が「えぬうえさんの作品が一番きれいに縫い目が仕上がっている」と言っていたと人づてに聞いたことがありました。
その頃には店内のディスプレイも思うように任せてもらえるようになっていました。
どうすれば布が、その布を好きなお客様に見つかり届くのか。
並べ方を変えたり、作品や飾り方を工夫したり、接客の中でお客様と一緒に考えたりするのは、とてもやりがいのある仕事でした。
私が朝並べ直した棚の布が、その日のうちにお客様の目にとまり、買ってもらえることが幾度となくありました。
私の作った作品に使っている布が売れて、一度きりの入荷のはずが再入荷することもありました。
得意じゃないことも多々あるけれど、自分の「こだわり」が妨げにならず、活きて、役に立てている。
学生時代の小さな未練はいつしかなくなり、自分は自分でよかった、この仕事をしていてよかったと思えるようになっていました。