おとずれた人生最大の落ち込み
仕事復帰してまず感動したのは、自分のタイミングでトイレに行けることでした。
朝はバタバタ、家に帰ったらクタクタの毎日。
それでも布に囲まれて働く時間は、仕事とはいえど、日常から離れた自分の時間でもありました。
復帰して数か月たった頃、市の検診で案内されて、子どもの発達相談を受けることになりました。
息子は寝返りもお座りも歩けるようになるのも、あらゆる関門をゆっくり超えるタイプ。
食に慎重で自己主張がしっかりあって、2歳を過ぎても発語がほぼなく。
当時の私は「育児が容易だ」と感じたことこそありませんでしたが、それが息子のペースなんだと思い、あまり悩まないようにしていました。
しかし言われるがまま受けた発達相談では、はっきりと「療育」をすすめられました。
そのときはじめて「これはよく向き合わないと」と切り替えることになりました。
それからは、療育について調べる日々。市の機関をはしごして、療育施設の見学もいくつか行きました。
ここに通わせたいなと思える場所が見つかり、仕事の日を減らして、週に2日お弁当を持って、息子と療育に通う生活が始まりました。
通ってみて、みるみるうちに成長というわけではありませんでしたが、そこは息子のできていることをたくさん認めて、信じて見守り、その成長を一緒に喜んでくれる場所。
親子ともどもの安心安全基地がふえたという感覚で、心から通い始めて良かったと思えました。
隊員の先生方の息子とのかかわり方や声のかけ方に気づきを得ては、家に持ちかえって真似してみたり、余裕がなくてできなかったりしながら、日々が過ぎていきました。
そうした中で、私の中で無意識にあった人生最大の気づきが、だんだんとはっきりとしていきました。
「幼少期、自分自身が支援を必要とする子どもだったのかもしれない」
療育を受けたかったとかではなく、
療育や発達に関する知識を得るほどに、ただただ、自分が今まで感じてきたこととの答え合わせになって、経験との辻褄があっていく感覚がありました。
幼かった自分の、日常生活や人間関係での困りごと。
不用意な言動をしてしまったと後から知るたびに、しまったと心から謝って。
「かわってるね」と言われるたびに、せめてニコニコせねばと笑いで繕って。
日常生活の困りごとは、うまくできないのは自分の頑張りが足りないんだと思って、頑張ったつもりがまたできなくて。
自分は「ふつう」とは違うんだ。
どうしたら「ふつう」になれるんだろう?
でも、「ふつう」って分からない。
なんでできないのか分からない。
失敗して「ふつう」を学んで、次からはそのようにふるまおうとする。
自分がどう思うかではなく、人からどう思われるかが大事になっていく。
「ふつうになりたい」
だけどそれが、実際は努力でどうにかなるものではなかったんだとしたら。
できないのは自分の頑張りが足りないせいではなくて、そもそもの性質が「ふつう」ではなかったんだとしたら。
わたしは頑張っても意味がなかったんだ。
―もう頑張れないかもしれない、何も。
今でこそ「ふつうって何なん!?」と感じ、頑張りが足りなかったんじゃなくて、できるための自分に合った工夫を知らなかったり、そもそも向いてなかったりしたんだと思えますが、
この頃の私の自信は底をつき、何をしていてもどんより重たく泣きたい気持ち。
人と比べてできないことや、過去の失敗を数えては自分を責めていました。
頭の中は家のこと育児のこと、仕事のこと、自分の悩みごとでいっぱいいっぱい。
弱気になるとなんだか風邪もひきやすくなり、そうなるとまた気が滅入る。
職場以外での日常に、ソーイングのことを楽しむ余裕はなくなっていったのでした。