手芸店で働いているとき、布売り場にはソーイングをするお客さんがたくさんいらっしゃいました。
ソーイング友達と連れだって来る方、作家さん、セールのときに必ず来てくれる方などの常連さんもいれば、学生さん、先生、お子さんの入園に合わせて久しぶりにソーイングをする方など様々。
中には仕事だからとか、仕方なく…という人もいたかもしれませんが。
当時の私は、自分が好きで手芸店で働くくらいですから、ソーイングが好きな人はみんな布売り場に来るものだと思っていました。
一緒に働いている仲間もソーイングや布が好きな人が多く、新商品が入荷してはあれがいい、誰が好きそうと言い合って、何を作るか、いい組み合わせはないかと語り合うのは本当に楽しい時間でした。
ところが、子どもが生まれ復職してから、私はあることに気が付きました。
子育てを通して出会ったのは、保育園の先生、療育の先生、それからお母さん方など、「ソーイングが好きだけど時間がない。」「やってみたいけど難しそう。」という人たち。
「好き」な気持ちがある人は、私の持ち物や息子の服が手作りであることに気づいて声をかけてくれます。
それから私が手芸屋で働いていることを知って、それぞれにソーイングのエピソードや手作りへの思いを語ってくれました。
―材料は買ったけどそのまま。
―裁縫教室に通ったけど家で一人ではできない。
―自分でできたらいいけど母に縫ってもらっている。
―ミシンを買ったはいいが開封せずに10年以上たってしまった。
―好きでやってみたいけど難しそうだからハンドメイドの作品を買っている。
―娘たちにお揃いの服を作ってあげたかった。
思えば私の母も、手芸が好きな人でした。
ビーズのアクセサリーを作ったり、私に巾着を縫ってくれたり。あるときは刺繍でクマのタペストリーを縫っていて、小学生だった私はそのクマのイラストが大好きで、よく真似して絵を描いていました。
仕事でも家でも忙しそうな母と、手芸屋さんに行った思い出は年に数回。続けていくこともあれば、長い期間行かないこともありました。
そんな母に、あるときおつかいを頼まれました。
手芸屋で働いている私に、ついでに刺繍糸を買ってきてほしいというのです。
何に使うのか聞くと、私が好きだったあのクマのタペストリーに使うのだと教えてくれました。
驚いたことに、母は15年以上も前の作品を仕上げられずに寝かせたまま、しかもそれをずっと忘れずにいて、今からでも続きを作ろうとしていたのでした。
そのおつかい自体は、刺繍糸の絶妙な色味で迷って一旦持ち帰り、結局忘れてしまったのですが…(ごめんねお母さん)
きっと母も、材料が足りないからと進められずに、買いに行こうと思っているうちに忘れてしまっていたのでしょう。
もしかしたら、たまに思い出しては、タペストリーを「作りたい」より大きくなった「仕上げなくちゃ」という気持ちにフタをして、またしまい込むのを繰り返していたのかもしれません。
今でも母は、あの布であれを作りたい、こんなのがほしいといいながら、なかなか時間は取れないようですが、好きな気持ちはあるようです。
そういえば私だって「仕事にでもしなければ、手芸に打ち込めない」と手芸屋で働き始めた一人でした。
子どもが生まれてからは、自分の時間をつくること、しかもそれをソーイングにあてることの難しさも知りました。
ソーイングが好きでお店に来てくれる人はほんの一部で、「ソーイングが好きかもしれない人」はもっとたくさんいる。
その魅力を伝えようとどんなに工夫していても、お店に来てもらえなければ届かない。
「私にはできない」と思われてしまっては、その先にある喜びを感じてもらえない。
ものを作って楽しい。それを使って幸せ。
誰に褒められなくても、SNSをやらなくても、一人の世界で満足していた自分。
だけどこの喜びは、きっと私だけのものじゃない。
好きな気持ちがある、みんなのものなんだ。
ソーイングを楽しみながら生きていく人を増やしたい。
私がこれからやることはそれなんだ、とストンと心に落ちました。
それから私は、どうして日常の中でソーイングは後回しになるのか?
ソーイングが難しそうと思われるのはなぜなのか?
その理由について考えるようになりました。